ライフサポーターの集い

新江東清掃工場及び第五福竜丸展示館 見学記
危機管理専門委員会 稲葉 浅治    
 平成20年11月14日(金)午後 新木場駅に見学会参加者15名が参集した。 この駅は木場という名前の駅舎に木材がふんだんに使用され、心安まる雰囲気の駅である。
新江東清掃工場に向かい説明を受ける
 『新江東清掃工場』(以下工場という)はこの駅より徒歩15分のところにある。 新江東清掃工場 この日は絶好の秋晴れで、都立夢の島公園沿い、落ち葉の土の道は一寸した郊外のハイキングのようであった。
 この工場はかって都の所管であったが、ゴミ収集が都から区に移管された為現在は東京23区清掃一部事務組合の所管となっている。 工場はかってゴミ埋立地として有名であった夢の島の一番はずれの海沿いにあり、61,000uの広い敷地に 地上9階建て(建築面積27、000u、延べ床面積75,000u)の建物と高さ150mの煙突があり、 遠くから見るとまるで海に浮かぶ大型船という外観である。
 見学室において係員より概要説明を受けた後、映像(クイズ問題付き)によって更に理解を深めた。 此処は平成10年に880億円を投じて建設され焼却能力1,800トン/日、発電能力50,000KWという国内最大級かつ最新の工場である。
この工場では年間50万トンという大量のゴミを焼却しており、又都心に近いということもあり最新鋭の公害防止設備を持ち、 排ガス中の塩化水素、煤塵、硫黄酸化物、水銀の殆どを除去し、ダイオキシン除去設備も有している公害防止の徹底した工場となっている。
工場を見学
 その後工場見学に移り
  プラットホーム(ゴミ収集車が最大21台までゴミ投入できる広いスペース)
  ごみバンカ(ゴミを一時貯蔵する45,000?の巨大ないれもの)
  ごみクレーン(一度に15トンものゴミをつかむ巨大無人クレーン)
  ホッパー(ゴミ焼却炉上部のゴミ投入口)
  焼却炉(全連続燃焼式火格子焼却炉で800〜1、000度の高温で燃焼する)
  ボイラー(焼却炉からの燃焼熱で蒸気を発生させる)
  発電機(蒸気でタービンを回転させ発電する)
  灰バンカ(発生した焼却灰を一時貯留しておくところ)
  集じん設備(バグフィルター型ろ過式集じん機)
 等を説明つきで見学した。
また、これらの設備はコンピューターを駆使して工場全体の稼働状況を集中監視されており、 その機器をごく少数の人員で管理している中央制御室も見学した。 最後に最上階の展望フロアより都心のビル群、沿海の工場群を眺め、 遠く千葉県、神奈川県の遠望を楽しみ工場見学会を終了した。
都立第五福竜丸展示館へ
 次に我々が向かったのは『都立第五福竜丸展示館』(以下展示館という)である。 都立第五福竜丸展示館 この展示館は樹木が繁り、青々とした芝生に四季の花が彩る夢の島公園内にある。 南洋のミクロネシア風を感じさせる切妻式の屋根は船の竜骨をイメージした鉄骨2階建で昭和51年に開館した。
展示館の中に入ると長さ28,6m、幅5,9m、高さ15m、深さ3mの第五福竜丸が据付けられており、 その船を1階から見上げるように見て、2階へ上がると丁度目の前で見られるようになっていた。
この船が昭和29年太平洋のマーシャル群島にあるビキニ環礁で、アメリカが行った水爆実験によって被害を受け、 当時マグロ漁に従事していた23人の乗組員が被爆したのである。
 その時の実験規模は広島原爆の14倍といわれ、15メガトンのブラボー爆弾が地上50mの鉄塔の上で爆発し、 数千万度の火の玉がサンゴを吹き上げ直径1,600m、深さ66mの巨大な穴をあけ、50万トンのサンゴが空に舞い上がり、 それが白い死の灰となって乗組員に降りかかったのである。
 この為無線長久保山愛吉さんが〔原水爆の被害者は私を最後にしてほしい〕と言い残して残念ながら死亡されたのである。
 その後この船は東京水産大学の練習船〔はやぶさ丸〕として再出発したが、 木造船の寿命である20年を過ぎた昭和42年廃船処分となった。 しかし原水爆による惨禍が再び起こらないようにという国民運動に支えられ、 今日のような形で保存されることになった。
 一方エンジンは廃船となった後貨物船に取り付けられ使われていたが昭和44年和歌山県沖で座礁し、海底に沈んだ。 これを平成8年に引き上げ、廃船以来30年経過して船とエンジンが歴史的再会をとげたのである。
 こうして私達は、広島、長崎での原爆、ビキニでの水爆により多くの死亡者を出した日本国民として、 今まで以上に原水爆禁止を心に刻み、展示館をあとにした。
(C)NPO法人東京都中高年福祉推進員協会

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