ライフサポーターの集い
美しい日本の歩きたくなる道

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 田安門を出て左手に曲がると「靖国神社」の大鳥居が見えてくるが、常燈明台 その反対側にあるのが「常燈明台」(右の写真)である。 これは東京湾の漁船の目印として建てられたもので、明治調を残している建物として珍重されているが、 今でも夜になると灯りが入り当時がしのばれる。 この近くには「子爵品川弥二郎像」(高村光雲監督)と「大山巌像」(新海竹太郎作)という 海軍と陸軍を代表する2人の銅像がたっている。

 下のお濠は桜で有名な「千鳥が淵」であり、冬に都鳥などが多く集まるところからきたとも、 V字型の濠が千鳥に似ているからとも言われているが、 お花見時には交通整理も出て、一方通行となり大変な賑わいを見せている。 「千鳥が淵戦没者墓苑」は昭和34年に建設され、第二次世界大戦で戦没された無名の戦士の霊をまつり 毎年春と秋に慰霊祭を行なっている。

 代官通りが突き当たりになる交差点のところに「イギリス大使館」がある。 その前にある桜並木が見事であるが、これは明治30年頃英国公使アーネスト・サトウが桜を植えて 東京市に寄贈したのが最初と言われている。この前あたりの公園には「消防訓練所跡地」 「対墨日本人移住百周年記念」「親善さくら」「第一東京市立中学校発祥の地」「自由の群像」 「麹町高等小学校校舎跡」などのモニュメントが多数見受けられた。

公園を出てすぐにある門が「半蔵門」である。槍の名人といわれた服部半蔵の組屋敷があったので、 この名がついたといわれている。古くは「かふじまち口」といって、国府(府中)への出発点であったとも いわれている。ここから桜田門までの「桜田濠」は土手の美しい曲線、みどりの松、 四季おりおりの渡り鳥など皇居随一の眺めと言えよう。

 右手に「国立劇場」「最高裁判所」(渡辺崋山誕生地跡)を見ながら下って行くと三宅坂に出る。 その少し先のお濠端に「桜の井、柳の井」という小さな立て看板があるが、 桜の井は元井伊家石垣のところにあり、柳の井は濠端の土手を下ったところにあるが、 草が生い茂っていてわからない。井伊家屋敷跡は現在「憲政記念館」(昭和35年)になっており、 その園内には「日本水準原点」があり、日本全国の海抜標準起点となっている。 「警視庁」や「法務省赤レンガ棟」を右手に見ながら「外桜田門」に着いた。

 桝形が完全に残っている城門の一つで、普通「桜田門」と言われており、万延元年、大老井伊直弼が、 この門外において水戸浪士に討たれたことは有名である。  桜田門をくぐり抜けると「皇居前広場」に至り、左手に「二重橋」が見えてくる。 二重橋の名前は、この奥の木橋の橋桁が二重に組んであったために起こったようで、 すでに寛政時代の文献にもその名が見られるが、現在では「正門石橋」「正門鉄橋」を総称して 二重橋と通称されている。二重橋の奥には白壁の美しい「伏見櫓」が見えてくるが、 京都伏見城の櫓をここに移したのでこの名がついたと伝えられている。

 間もなく「坂下門」に至るが、この門は宮内庁の通用門で、門内に三階建の「宮内庁庁舎」(昭和10年建築)が見える。

 次の門は「桔梗門」であり「内桜田門」とも言われ、皇居参観者や勤労奉仕の人達が出入りする門で、 太田道灌の家紋が桔梗であったところからこの名がつけられたという。 この辺から皇居方面を見ると「富士見櫓」が垣間見られる。本丸にただ一つ残っているのが三重櫓で、 江戸城本丸の壮麗さがしのばれる。 有名な「松の廊下」はここの近くにあった。また「桔梗濠」に建つ「桜田二重櫓」は江戸城に残っている 唯一の隅櫓で昔の夢を美しくお濠に映している。

 交差点を渡ったところの「和田倉噴水公園」には「今上天皇御成婚記念大噴水」(昭和36年)がある。 ここから東京駅に向かう濠端は左手が「和田倉門跡」「和田倉橋」が望まれ、 右手には「馬場先門跡」が望まれる。「東京駅」は現在二階建てであるが来年4月より昔の三階建てに復元することが予定されている。

 私達はここで本日のコースを終了し、余暇研究会員は丸の内線で文京シビックセンターに向い、13階の展望食堂に て喉を潤した。その後行なわれた余暇研究会は議論百出で活発なディスカッションが延々と続いたことは言うまでもない。       以上
(掲載の写真は、羽賀正治氏 撮影)


健康事業部は今年度の行事として、(社)日本ウォ−キング協会が企画された「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の中から、 東京及び近県のコ−スを歩いてみることにしています。次号では、コ−ス名のお知らせ等を予定しています。多くの皆さんの参加を期待しております。

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