![]() 稲葉 浅治
5月9日(月)開催されたこの催しには、中推協会員以外の方も含め総勢17名が参加した。東京駅を出発して、皇居大手門に向い、ここから皇居東御苑に入るのが、本来のコースであるが、 当日はあいにくと東御苑が休園のため、日本の道100選に選ばれた内堀通りに沿って歩くことにした。 「大手門」は江戸城本丸の正面であって、慶長11年(1606)藤堂高虎によって縄張りされたという 由緒ある門である。大手門を左手に見ながら大手濠を進むと昭和15年に建立された「和気清麻呂像」 (佐藤朝山作)と関東大震災で焼けた木から新しい芽が出てきた「震災いちょう」がある一角に出る。 次の門は「平川門」で太田道灌時代は馬出曲輪の正門で、門の前に平川村が有ったところから、 平川門といわれている。江戸時代には江戸城の裏門にあたるので不浄門ともいわれ、 殿中刃傷後の浅野内匠頭や老女絵島などはこの門から出されたとのことである。 この門の近くには「太田道灌公追慕の碑」がある。 しばらく進むと「竹橋」に出るが、この橋の由来によれば、徳川家康が入府の折には竹で編んだ橋であったことによるようであり、当時の遺構も残っている。平川濠沿いのゆるやかな登り坂を登ると右手に 「東京国立近代美術館」次いで「国立公文書館」が見えた。 間もなく、左手が「北桔橋門」(きたはねばしもん)である。その名のとおり、 江戸時代には橋がはね上がる仕掛けになっていて濠も深く、 石垣が最も堅固雄大にしてあり、昔の面影をよく残している処である。 次の門は「乾門」であるが、明治になってから建てられた京都風の門で、 皇居のいぬいの方角にあるのでこの名がある。この乾門から高速道路入口前の歩道(押しボタン式)を 通って反対側に渡ると「東京国立近代美術館工芸館」である。
このレンガ造りの建物が「近衛師団司令部庁舎」(写真右)として使用されていたものである。
その横には「北白川宮乗馬像」(新海竹太郎作)がある。宮はもと輪王寺宮であったが、
その後近衛師団長となった人物である。
この辺は「北の丸公園」の一角であるが終戦までは近衛師団司令部、近衛歩兵第一旅団司令部、
同第一、第二聯隊などがあったところである。この旧北の丸跡は東京オリンピック大会の競技場に
使用された「日本武道館」主として青少年のための「科学技術館」が建てられているが、
「近衛歩兵第一聯隊碑」や「近衛歩兵第二聯隊碑」が建てられ、当時の面影がしのばれる。
北の丸公園の出口にあたる「田安門」は古くは飯田町口といわれ、上州方面への道が通じていたといわれる。 門内は田安台といわれており、吉宗将軍の子宗武はここに一家を創立して田安家を興した。 この田安門の石垣の上には「昭和天皇御野立所碑」のある「弥生神社」がまつられている。 田安門を出た右手の淵が「牛ヶ淵」であり、その先は江戸幕府の「藩所調所跡」(洋学の勉強所)であるが、 現在は「九段会館」となっている。(次ページへ続く) (掲載の写真は、羽賀正治氏 撮影) |