ライフサポーターの集い
私と国際ボランティア(5)
佐 藤 征 義 (副会長)
7.インド洋津波の被害状況(2) −被災地に学校建設−
   3月28日の午後1時20分に成田を飛び立ち、 スリランカから1時間のモリディブに寄って、 コロンボ空港に到着したのが現地時間の22時25分(日本時間では午前1時25分)。 前はコロンボに直行してからモリディブに行っていたので、 9時間でコロンボに着いていたのが、 12時間もかかるようになってしまいました。
 2004年12月26日午前8時ごろ(現地時間)、 インドネシア西部のスマトラ沖でマグニチュード9.0の大地震が発生し、 大津波が遠く離れたスリランカやインドにまで大きな被害をもたらしました。
 水滴のような形のスリランカ(北海道の8割の広さ)は、 東部から南部にかけて大きな被害をもたらし、 私たちJSFAAが支援をしているハンバントータ市は、 最も大きな被災地になりました。
◇被災状況◇@死者・行方不明者43,832名(ロイター通信の集計)(ハンバントータ 6,000名余) A被災家族数260,897家族、約130万人(地元の新聞ラクビマの集計)(ハンバントータ 14,000家族、約7万人)。
津波で打ち上げられた船  3月30日にコロンボから270kmのハンバントータまで、 車で海岸線を通って行きましたが、南部から東部に行くに従って被害の状況は厳しくなり、 海岸から300mから500mの所は、津波に飲み込まれて、家や建物の影も形もなくなっていました。 あちこちで船が打ち上げられて大破したまま放置されていたり、 列車が津波に襲われて1500人以上の乗客が死亡し、横転したままになっていたりしていました。
 また、幼稚園が35名の子供たちと一緒に海の中にもって行かれたとか、 リゾートホテルが70数名の宿泊客ごと海の中に持っていかれたという話も聞きました。
 スリランカは町のあちこちに仏陀の彫像を祭っていますが、 海岸地帯の仏陀の彫像が幾つも無傷のまま残っている姿は、とても不思議でした。 被災者のテント村 海岸線の古都として知られるゴールの近くの海の中の小さな岩の上に建てられたお寺が、 津波にさらわれないでそのまま残っていて、スリランカの人々は、これらは仏の力だと信じていました。
 ハンバントータでは、港の町がそっくり無くなっていました。 ハンバントータの中心地で、かなり広い町でしたが、平坦であったために、 鉄筋のビルが二つ残っただけで、奥行き1km、幅5kmぐらいわたって、きれいに削り取られていました。
 途中で大津波にさらわれた家の跡地に掘っ立て小屋を建てたり、 テントを張って住んでいる人達を多く見かけましたが、ハンバントータでは、 市内の公園にテント村を造り、仏教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒など、 宗教別に100家族とか150家族とまとまって避難生活を送っていました。
以下、次号につづく

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