第30回中推協会員による研修会 苗字からルーツを探る
講師 野中富雄
野中富雄氏  私は奥多摩桧原郷土史の執筆編纂、苗字(みょうじ)家系研究者として日本家系図学会に所属している。 中推協の皆さん方は、千年前の由緒ある源平籐橘(げんぺいとうきつ)の子孫が多いということを関係史料により講話します。 先ず、日本の苗字の総数は約30万あること。苗字は名字(みょうじ)とも言い姓名、氏名という呼び方があり、 法律用語は氏、本来、氏姓制度は平安末期に崩れ、氏姓に代わって名字が起こり、 江戸時代に血筋を意味するものとして苗字と書かれるようになった。
苗字の由来は80%が自然地名や歴史地名から出ている。 一部、官職と動植物に由来の苗字や古代渡来人の姓氏もある。 例えば高麗(こま)、百済(くだら)、秦(しん)。庶民のうち農民にも苗字はあった。 もともと先祖から伝えられた隠し苗字がありながら禁止され公称できなかった。屋号、家印、職業や出身地を苗字としている例もある。 “明治の新姓”もあった。江戸時代が終わり四民平等が建前となり、更に富国徴兵、課税、土地政策、防犯、人口把握の目的から明治3年9月、 太政官から「今より後、平民苗字差許される事」の布告が出て、苗字の公称と登録が行われた。この為に珍姓奇姓のエピソ−ドもあった。 例えば、野菜や魚などの苗字も現れた。中古から日本の名門四大姓氏「源平籐橘(げんぺいとうきつ)」、 ここから実に多くの苗字が分出、今日までに広がった。現在の多くの苗字のル−ツをたどると、この四大姓につながるケ−スがほとんどと言ってもよい。 即ち、源氏(げんじ)、平氏(へいし)、橘(たちばな)氏は、それぞれ天皇の子孫で、藤原氏は鎌足から始まる天皇の外戚。 当時の地方豪族は、四大姓氏族の何れかに娘を嫁がせたり、生まれた子を嫡子として自分の氏を相手の氏に改める方法など 高貴な皇裔(こうへい)に結びつける努力など一族の勢力を広めていた。 別流の有名な族も居た。例えば、蘇我(そが)、物部、海部(あまべ)、安倍(あべ)、菅原(すがわら)、紀、大江、穂積、大伴、和気、清原、在原などで、 この系の子孫は今でも居る。
源氏の祖は嵯峨天皇、宇多天皇からでた宇多源氏。清和天皇からの子孫は清和源氏が有名。試みに当中推協会員名簿から抜き出してみると、 会長の寺井氏は清和源氏で新田義純の孫で寺井兼氏が遠祖(えんそ)。 理事の小関氏も清和源氏の深栖氏族で名門の子孫に当たる。なお、秋山、新井、石川、板倉、上田、太田、大野、小俣、小島、関口、 武田、細谷、掘田、山崎、山田、山本ら各氏も、天皇から出た清和源氏を始祖としている。 桓武平氏流は、石田、和田、大久保、岡崎、織田、小栗、長田、小沢、熊谷、富田各氏らが居られる。 藤原不比等公の遠孫(えんそん)は多く、青山、赤石、秋元、石田、池田、伊藤、稲葉、今井、遠藤、岡崎、小原、岡本、小野寺、 加藤、神田、小池、近藤、斉藤、佐藤、田中、皆川、山岸、藤巻、西川、福田、柴田、松永、山田、関口、 宮下各氏と藤原流は多い。ここでは橘氏流と別系の古代名族流は省略する。この完成を目的に、機会があれば、 後世に伝える家の文化財「家計図作成法等」の講話をしたいと思います。